湯水の如く。。とはこういうことか

こういうことを言うんですね。

Before

After

牛めし あたまの大盛り1杯¥390。それをいただくのに、これだけの紅生姜が必要だとは。。。毎回、定員さんの冷たい視線と後ろめたさを感じる。無料ですよ、どうぞどうぞとおいてあるにも関わらず、どうも施し(ほどこし)を受けている感が強よすぎる。なんだろうかこの気持は。この後ろめたさが、次回牛丼食べるときには、前回お世話になったこのお店でいただけないといけないなと思わせるのかもしれない。

正直な話、\100ぐらいだったら払ってもいいんじゃないかと思う。いや、書いた直後に申し訳ない、嘘です。ちょっと強気の発言だったかもしれないなとすぐに反省した。なぜなら、それは¥50の味噌汁や卵すら頼んだことがない。さらには\100のサラダなどは、注文している人をみるとその神々さ故に畏怖の念さえ感じるぐらいだ。

バイキング、ビュッフェのたぐいであれば、たくさんいただくのに、なんのためらいもなくたくさんゲットできてしまう。この違いな何なのか。かなり考えて考えて、布団の中で悶々と。この1週間は1日6時間(23:00〜5:00)しか熟睡できなかった、ホントは22時には寝たいのに。しかし、そんな真剣な検討の結果、朝起きた時に神の啓示とも思える、ある気づきを得ました。

それは「器、そして盛」です。

これが一般的なバイキング、ビュッフェスタイル

平たい器にボリュームある盛り付け。大きな盆には蓋が必要なのか、オープン感の演出なのかはわかりませんが、大きく開かれた蓋。

そして取りやすく、1回にいただく量をかるかに超える分量を1回でゲットできてしまうほどの大きなトング。

これは、どう見てもその全てが、「どうぞどうぞ感」に満ち溢れているではないか。これこそ飽食の時代、豊かさの象徴の究極の姿かもしれない。

よくある牛丼屋さんの紅生姜の器

ビュッフェスタイルとはうって変わって、この閉塞感はなんだろうか。小さな器で、狭い受け口。

補充の回数を減らそうとする工夫が見られる背の高さ。さらには小さなトングという具合に、一歩間違えれば、まるで紅生姜の引きこもりとも言えなくはない、

この生息状態は、まさに現代社会に重くのしかかる長期高齢化、若年層引きこもり、そして人工減少というこの国の姿を表しているかのようだ。

無料で頂いている身で大変恐縮ではございますが、牛丼業界の方々には紅生姜のオープン化をお願いしたいところです。ただ、紅生姜をいくら頂いても、ポカポカしてこない、体が温まらいのが不思議です。このへんも改善いただければ、さらに生活における紅生姜の重要性が増し、現在はヘルシーさと出すためにご飯をお豆腐に変えれるオプションなどがありますが、ご飯を紅生姜に変更できるオプションなどが求められる時代も来るかと思います。

そんな時代が来ることを期待して。


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